古銭情報 文久永宝のなりたち
幕末に広く流通した文久永宝
(引用:Wikipedia「文久永宝」)
文久永宝とは、主に幕末時代に流通していた貨幣。
表に文久永宝の文字が時計回りに刻まれ、裏には波型の模様がデザインされているのが特徴です。
書体や裏の波模様によって買取相場は大幅に上下し、流通量の少ない文久永宝の種類は高値で買取される傾向にあります。
文久永宝の文字にも3種類がありますが、こちらの字体は、その時代の書家が担当しています。
文の字が楷書体となり通称「真文」と呼ばれているもの、草書体のものは「草文」、
そして同じく草書体ですが文久永宝の文字が寶でなく宝となっているものは「略宝」と呼ばれます。
寛永通宝である四文銭のコストが高いために製造中止とし、四文銭を銅製に換えることになりましたが
当時、銅の生産量が不足しており量目を減らした形で発行されたのが、こちらの文久永宝となります。
貨幣の価値を定めるきっかけとなった文久永宝
真文の文久永宝は大工町の銭座で発行されたもの、そして草文と略宝のものは浅草橋場の銭座で発行されたものです。
当時は真鍮で鋳造された四文銭の代用として使えるように定められ市場に出回りましたが、どうしても地金の価値の差で流通量が差別化してしまいます。
そのため相場が変更され、寛永通宝の四文銭であれば12文、そして文久永宝であれば8文として流通するようになりました。
そして慶応3年には寛永通宝の四文銭は20~24文、そしてこちらの文久永宝は15~16文程の相場として扱われるようになりました。
この出来事がきっかけとなり旧銅貨の価格が規定され、一圓は一両と同等、そして一両は一万文と基準が定められました。
参考サイト
- 古銭
- 幕末
- 文久永宝
- 波模様